Artist Column
『Artist Column』はアーティストが今興味のある事や制作中の作品についてなど、身近なテーマを自由に綴ったコラムです。KAVCにゆかりのあるアーティストが登場し、3ヶ月に1度お届けします。
VOL.5 稲垣智子(いながき・ともこ)

1975年大阪府出身。2001年英国ミドルセックス大学美術学部卒業。KAVC主催「神戸アートアニュアル2002」出品作家。最近のアート活動には2010年 「Transmediale」, Berlin。2009年 「Twinism」, Kunsthaus, Hamburg/AD&A Gallery, 大阪等。
〈展覧会情報〉 個展「Pearls」
会期:2010年5/7(木) ~ 5/22(土)
会場:The Third Gallery Aya
[アーティストトーク]5/7(木)19:30-21:00
参加費:700円(税込・1ドリンク付)
定員:25名(要予約)
予約先:06-6445-3557/ayay@osk.3web.ne.jp
「ハンブルグ、ロンドン、日本」
私はいま縁があってハンブルグにて一年間のアーティストインレジデンス中です。ドイツは清潔安全真面目で、食べ物もおいしくて(賛否両論ありますが)住みやすい国です。そんなドイツのもう一つの魅力は旅行に行きやすい立地だということ。
2月に一週間、3年ぶりにロンドンに遊びに行ってきました。現在ロンドンは不景気まっただ中。以前、ロンドンに大学留学していた時に出会った友人たちと久しぶりの再会を楽しみながらも皆不景気でさらに皮肉屋になっているん じゃと思いきやそんなこともなく、それより彼らの活動が新鮮で刺激的なのにびっくりでした。音楽のレーベルを作っていたり、自分たちで立ちあげたクリエイティブ系の会社が成功していたり、若者用タンゴイベントでブームに乗っ取っていたり、有名監督の新作映画の美術担当をしていたり、同世代がめきめきと頑張っている。不景気だからこそ会社を始めようとしている人たちもいて、今が新しいことをする機会ってことを教えてくれました。そうだ、私たちは何でもできるし、今までの方法ではなく、また違うやり方があるのだとキラキラと希望が見えてきたのでありました。
そんな私が作る作品は新しい試み。ハンブルグで声をかけてモデルになった人たちに出演してもらう映像とインスタレーションです。どんな作品になっているかは5月の帰国展をぜひ見てくださいね。日本に私が帰国したら久々の日本社会をリニューアルな視点で見られるでしょう。新しいことに挑戦です。
VOL.4 栗田咲子(くりた・さきこ)

1972年岡山県生まれ。1997年京都市立芸術大学大学院絵画専攻修了。KAVC主催「神戸アートアニュアル1997」、「Exhibition as media 2008」出品作家。主な展覧会に個展(FUKUGAN GALLERY/大阪)など。
〈展覧会情報〉個展『数珠の茂み』会期:2009年12/19(土)~2010年2/13(土)会場:FUKUGAN GALLERY、「国立国際美術館新築移転5周年記念『絵画の庭─ゼロ年代日本の地平から』」会期:2010年1/16(土)~4/4(日)会場:国立国際美術館
「言葉にたよる」
15年間絵画を続けているが、自分の領分を勝手に狭く捉え過ぎていたせいだろう、しょっちゅう限界を作ってきた。しかし、いま自分と世界の関係をつくる手だてとしての絵画制作が少しずつ意味を成して来た気がしている。
いま私は、ことばの使い方・文章の組み立て方(日本語)にとても惹かれている。長い間避けて来た言葉や文章を自分から進んで探している。小説や民話などの本を読んでいると、物語を楽しむ以上に語と語のつなぎかた、文と文の響き合い、章から章への展開に感じ入ることが多い。
絵画的、映像的にイメージがクリアに浮かぶ文章も素晴らしいと思うが、言葉には視覚イメージから組み立てることができないイメージがある。それは文字(意味)を直接読んだ人の脳内にだけ現れる、像になるまえの音と意味のぶつかりから生まれる感覚である。途中に文字の無い空白を作っても、言葉と言葉が繋がってくるのが文章であるが、私が今特に面白いと感じるのは、そのような説明の欠落した(または敢えて省いた)文と文のつながりである。
言葉から触発される感覚を視覚化できるかもしれない。描かれる複数のイメージとイメージの間に奥行きや時間が生まれてやがて一体化する。私は断片を強調するように作ることに興味は無い。
つなぎ目がわからないように一体化した像の中に、断絶しつつも繋がる一連鎖を楽しみたいと思っている。
VOL.3 中川トラヲ(なかがわ・とらを)
1974年大阪府生まれ。1997年成安造形大学造形美術科造形表現群洋画コース卒業。KAVC主催「神戸アートアニュアル1997」、「Exhibition as media 2009」出品作家。主な展覧会に「タイム・オブ・マイ・ライフ」(東京オペラシティアートギャラリー/東京)など。
「社会人ってすごい」
えー、中川トラヲと申します。
日々の生活、その中で人は社会との接点が必要だったりします。
その社会とは何かと疎遠な作家が、唐突に社会というものに乗り込むと、一種のカルチャーショックを受ける「社会人」と言う人たちに出会うんです。なぜ社会人にカルチャーショックを受けるのかというと、その尋常ではない精力的な活動に脱帽する事がたくさんあるのです。
その一端の例としてはこんな感じ。
・まず遅刻なんてしない、したとしても電車の延着とか。
・会社ぐるみの飲み会では上司の話し相手として嫌な顔もせずに朝まで付き合う。
・残業はまず基本。
・終電で帰るのも基本。なのに飲み会ではすごく楽しそう。
最近故あっていわゆる大企業の末端で働いてみたりしてるんですが、もうみんなそんな感じなんです。僕にはこの人たちのバイタリティーの源が何なのか全く理解できないのですが、正直、もしも自分が作家を目指さずに就職して社会人になっていたとしても、そんな事はとても出来ず早々に根をあげてニート生活をしていたと思うんです。いや、もうニートです。
だって無理、箇条書きにしたやつ全部全然無理だし。
こういった事に脅威的なまでに驚くのは、ずっと団体的なものに属さないで個人単位で自分のためだけにここまでやって来た僕と、高校や大学を卒業してそのまま社会人としての生活を始めた人たちとの間に広がる深い溝のようなものを目の当りにして驚いているんだろうと思います。彼らの尋常でない行動力がしばしば僕に尊敬の念を呼び起こさせて仕方無いのです。
一番遠い隣人が頑張るような世の中は素晴らしいのかもしれない。
そんな事をふと思いながら。
VOL.2 中西信洋(なかにし・のぶひろ)
1976年福岡県出身。2001年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。KAVC主催「神戸アートアニュアル2001」、「Exhibition as media 2007」出品作家。主な展覧会に2007年「六本木クロッシング2007:未来への脈動」(森美術館/東京)など。
〈展覧会情報〉
「コレクション/コネクションー福岡市美術館の30年」
展関連企画『中西信洋:Layer Movies』
会期:2009年8/8(土)〜9/27(日)
会場:福岡市美術館 2Fロビー
「こどもがうまれて」
子供が生まれてもうすぐ2年が過ぎようとしています。
このくらいの子供は言葉を話し、理解ができる様になり、「ジュース」「ちょーだい」などの単語で会話をします。赤ちゃんという雰囲気から脱しつつも、まだ文章としての言葉をよく理解出来ていないような感じです。私のやる事を何でもまねようとします。何かを要求する時は体をよじり、声を張り上げ、全身の力を使ってアピールをします。こうして文章を書いているときにもパソコンの電源ボタンを押そうとします。叱っても、理由がよく理解出来ないので叱られたという事実だけでまた泣き叫びます。
子供をもつ前と今との生活は当然大きく変わりました。食べるもの、会話、見るものなど様々なことに影響を与えます。日常生活のなかで、物や行動を選択する基準は子供が中心になります。
私の考え方が変化した部分を言うと、ずっと長い先の事を意識する事が多くなりました。子供が大きくなった時の世の中の事だったり、今とこれからを暮らしていく環境のことだったり。
よく「親になってみるとわかる」と言いますが、これは親になった瞬間からわかるのではなく、毎日、じわじわと人間になって行く過程をありありと見せつけられ、日々10キロ少々の体をフルに使ってぶつかって来る力と、思いっきり泣き叫んだり笑ったりする声とに翻弄されながらじわじわと身を以て知らされていく様な感じです。
VOL.1 金氏徹平(かねうじ・てっぺい)
1978年大阪府出身。2003年京都市立芸術大学大学院彫刻専攻修了。KAVC主催「神戸アートアニュアル2003」、「Exhibition as media 2007」出品作家。主な展覧会に、2008年「MOTアニュアル2008 解きほぐすとき」(東京都現代美術館)など。
「映画監督への夢」
小学校の頃、赤塚不二夫の『まんが入門』を読んで、最初に持った将来の夢は漫画家でしたが、思うように描けず、早々に断念してしまいました。次に憧れたのは映画監督でしたが、前提として機材や共同作業が必要でつまずきました。そんな諦めを繰り返し、なぜか残ったのが美術だったように思います。
しかし、最近になってまた映画への憧れが再燃してきて、モヤモヤと考えをめぐらせています。そもそも僕の好きな映画はストーリーがあるような無いようなもので、リアリティの断片の積み重ねでできているものです。その断片さえあれば映画を作れるのではないか、もしくは今までの彫刻、写真、インスタレーション作品などがそのまま断片になりえるとも思っています。
そもそも、僕の考えるリアリティとは、例えば映画『ねらわれた学園』で宇宙人の腹に描かれた目玉のようなもので、思春期にうなされて見る夢は、精巧なものではなく、そのようなものに近いと感じています。
また、ありえない恐怖や混乱は映画『死霊のはらわた』に出てくる、セットの森と合成でフレームごと貼付けられた大きな月にリアリティがあると思うのです。
他にも映画の中でリアリティを持って劇的な場面を作る1つの要素として歌があると思います。三輪明日美の「あの素晴らしい愛をもう一度」。ニコラス・ケイジの「Love Me Tender」も素晴らしかったですが、何と言っても映画『ふたり』のラストで大林宣彦監督が自ら歌う「草の想い」は永遠の憧れです。





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