Artist column

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Artist Column

『Artist Column』はアーティストが今興味のある事や制作中の作品についてなど、身近なテーマを自由に綴ったコラムです。KAVCにゆかりのあるアーティストが登場し、3ヶ月に1度お届けします。

VOL.25 tofubeats(トーフビーツ)

アーティストコラム_tofubeats.jpg神戸市在住のDJ/音楽プロデューサー。メジャー・インディ関わらず多くのアーティストへの楽曲プロデュース、リミックス、アレンジ等で知られる。DJとしても全国各地でプレイ。U30 CITY KOBEのBGM製作や、雑誌TVBros.での兵庫県を題材にした連載等、内外に目を向け精力的に活動中。



「港から港」
 英語に普段から触れておきたいので英語の動画をいろいろと見ている(英語が話せるかということとは関係ない笑)。音楽チャンネルに加えて最近は香港のyoutubeチャンネル「DigitalRevTV」に夢中だ。BBCでやっているTopGearさながら、高画質な映像でいい感じの皮肉と実直なレビューを交え、メンバーがデジタルカメラをレビューしてくれる。カメラマンでも自動車保持者でもないが、どちらも見ていてもとても面白い。
 そんなDRTVでFujifilmの工場に行くという日本旅行紀編があり、そのオフショット等も交えて楽しんでいたのだが、そんな旅中、メンバーのLokがファミリーマートで「焼きそばパン」をみて興奮するくだりがある。”Carbohydrate… and carbohydrate!?”と。和訳すると「炭水化物に炭水化物て・・・!」ということなのだが、いや、あ、そうなのか。香港人からしてもこのコラボは異常なのだ!
 そういえば以前餃子屋でご飯がないことをスネた時、中国人の店員に「中国では餃子とかの類はご飯と一緒に食べないよ」と教わったのだが、そういう場慣れしたものでない、本当にナチュラルなツッコミをLokで見ることができた。神戸でいろいろな餃子屋に行っても僕が行っている店は確かに白米を置いていない。そばめし発祥の地でありながら餃子は本土のように親しまれる街の姿に妙にうれしさを感じてしまうのでした。

VOL.24 梅田哲也(うめだてつや)

5P_アーティストコラム_梅田哲也.png国内外の美術館およびオルタナティブな空間におけるインスタレーションを発表するほか、音楽やパフォーミング・アーツの現場で活動。関西では12月のナイトクルーズ「七つの船」を準備中。その他の近況、活動については→siranami.com



「生きているのに走馬灯」
明け方のバンドの大音量は大きな倉庫の壁と天井に反射してものすごい勢いでぐるぐるまわってるもんだから、すぐにもう座ってることまでがむずかしくなって、ゴロンと床に仰向けで寝転がってみたのです。20mはあるかというような高い天井の梁の回転をさえぎろうと目を閉じてみたら、まぶたの裏で赤や黄色や青、紫、緑、白、金や銀の点々がチカチカ明滅を繰り返して、音のかたまりは耳から入りこんだまま頭蓋骨のなかでぶつかりあっていなくならないのもあって、さらに心地よい闇へと僕をつき落としてくれました。それでも自分のなかに少しだけ残っていた理性が、このままだと帰れなくなるから今立ちあがろうというのでそのようにして、会場の外にでると目が覚めるような気持ちのいい風にあたって(まあ実際には覚めたりしないわけですが)路面電車が走る道をひとつだけ渡ったところにあるホテルでカードキーのロックを外して、重たい扉をあけて中に入ります。フロントのカウンターにはもうとっくに誰もいない時間帯で、薄暗い廊下を抜けて、僕の泊まってる部屋があるハナレの棟まで到達したのだとおもいます。いや、しなかったのかな。いずれにしても自分の部屋の扉がどれだかわからなくなってしまってた僕は、何度も何度も本館とハナレの間を行ったり来たりして、一度はまたホテルの外にでてカードキーのロックを外すところからやり直したりもして、次の瞬間気がついたらもう自分の部屋にいて、靴を履いたままベッドで横たわり、イヤホンでユーミンを聴いていたのです。何度も何度も同じ曲をリピートしながら、ボロボロボロボロ涙をながしながら。

VOL.23 野原万里絵 (のはら・まりえ)

野原万里絵.jpg1987年大阪市生まれ。2013年京都市立芸術大学院絵画専攻修了。KAVC主催「1floor2013 黄色地に銀のクマU スーパーホームパーティー」出品作家。
作家web : marienohara.info
次回の展覧会:第5回新鋭作家展 「型にハマってるワタシたち」
会期:2016年7月16日(土)~8月31日(水)
会場:川口市立アートギャラリーアトリア http://www.atlia.jp/exhibition/



「絵を描く事」
私は、大阪で祖父が営んでいた豆腐屋を改装したスタジオで絵を描いています。幼い頃は、保育園から帰ると店の陳列棚に座らせてもらい、母の帰りを待つ間、お客さんや商店街の人々に囲まれて育ちました。そんなじゃりン子チエのような環境で育った私にとって、絵を描くことは身近な行為ではありませんでした。小学校の頃は、絵が上手な友達の鉛筆の先からスルスルと生み出されるセーラームーンが不思議でたまりませんでした。友達の頭の中に描かれたセーラームーンが解けて糸になり、頭から腕、指先、鉛筆まで流れるように伝わって線になっているような感覚を受けました。その横で私の鉛筆からは、ギザギザで歪んだ加工が施されたセーラームーンしか生まれず、私の頭の中のプリティセーラームーンはどこに消えたんだろうと、悲しくなったのを覚えています。
その後も、何かを描きたい、表現したいという思いが強くあった訳ではありませんが、塗り絵をしたり、好きな色の組み合わせを見つけて遊ぶことが好きだったこともあり、いつの間にか美術を仕事として選んでいました。また、どこか頭の隅にはいつも、幼い頃から不思議でたまらなかった、絵を描く人の手順や思考回路といった、普段は目に見えない描く過程への興味が続いていたのだと思います。
最近の制作方法は、子供達や異業種の人々に描く過程に参入してもらい、木炭と型紙を使って絵を描いています。今の私もスラスラと描くには程遠いですが、自分の道具と方法を見つけて、子供の頃よりは少し、絵が描けるようになってきたかなと思っています。

VOL.22 西武 アキラ(にしたけ・あきら)

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VOL.21 田中 秀和(たなか・ひでかず)

アーティストコラム:田中秀和画像.psd1979年兵庫県生まれ。2015年京都市立芸術大学大学院博士課程油画専攻在学中。KAVC主催「神戸アートアニュアル2003」、「Exhibition as media 2008」出品作家。個展は、2015年 「Timepective」(gallery@kcua/京都)など。
tanakahidekazu.com



「TIME IS…」
時間はすべての人に平等に所有されるのと同時に、絵画作品にも同じ事が言える。
僕は作品制作の中で、『時間』をテーマに扱うことが多い。
静止画である絵画で動的な表現をする事は矛盾しているところもあるが、そこをうまく扱えると絵が動く気がする。
先日、子供と動物園で久しぶりにスケッチをした。
キリンが描きたいらしいのだが以外とよく動く。
5歳の娘はすでに頭の中にキリンのイメージがあるらしく、直線の草原と横構図のキリンの全体像に頑張って模様を描いている。
3歳の息子は黒のぐるぐるだ。
僕は、昔スケッチする時によくやっていた、手元を見ず対象物だけを見ながら描く方法でやってみようと思った。
先ず頭の輪郭から描き始め、そのままキリンの動きに合わせて鉛筆を走らせていくと、
そのうちにその輪郭線は交差していき、輪郭は早々に破綻し、そこにキリンの姿はなく、
紙の上には、キリンの輪郭と動線が混じり合った、奇妙な形が出来上がっていた。
子供らには酷評されたが、僕は「絵が動いててええやないか」とだけ言い返した。
時計の時間は皆に平等だが、個々の時間はこのキリンの絵みたいにそれぞれにあるんだと思う。
生活の大半は、時計や暦のような計られる時間以外はほとんど意識されずに過ごしがちだが、
いろんな場面でそこにある固有の時間を意識することで、また違った何かが見つかるかもしれない。

VOL.20 国谷 隆志(くにたに・たかし)

アーティストコラム国谷隆志_写真.jpeg1974年京都府生まれ。1997年成安造形大学造形学部造形美術科立体造形クラス卒業。KAVC主催 「神戸アートアニュアル1999」、「Exhibition as media 2008」出品作家。2015年10月29日(木)~11月29日(日)兵庫県立美術館の注目作家を紹介するシリーズ チャンネル6 に出品予定。
takashikunitani.com



「座禅入門」
「百聞は一見にしかず」というが、「一見」とは一体何なのだろうか。
調べてみると、この言葉にはどうやら続きがあるらしく、最終的には「成果」まで求められるようだが、ここからの話では「一見」で十分だと思う。
僕は、久々にお会いした方に誘って頂いたのがご縁で、5月の中頃から、毎週日曜日に座禅に通っている。当初は座禅のベテランについて通うとはいえ、初めてな上、全く何も知らないから、それはそれは勇気が必要だった。
まず、座禅の朝は早い。その時点でやる気は相当萎えた。最近になって、とりあえず目覚めて、行く!というリズムが出来てきたが。
そして、座禅で重要なのは心を無にする事である。
しかし、いざ始めてみると頭の中に様々なことが思い浮かんでくる。それらを追い払おうとするが、そのことすらも考えてしまい、何も考えない事がいかに難しいかがわかった。僕は未だ無に到達したことのない未熟者である。
僕は、無がわからない。
物事が「わかる」という感覚、座禅には座禅、アートにはアート、その他それぞれに何となくこの「わかる」という感覚があると思う。
それは、頭だけで考えるのではなく、実際にその物事に飛び込んで経験する中で得られるものなのだろう。そしてその先には、それぞれの「成果」が待っているはずだ。
とにかく、そう難しく考えず何でも体験してみることは気持ちが良い。
そして、できるならば「成果」が出るまで気長に続けて行きたいところである。

VOL.19 久門 剛史(ひさかど・つよし)

77号アーティストコラム.jpeg1981年京都生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。平成27年度京都市芸術文化特別奨励者。様々な現象や歴史を採取し、音や光、オブジェクトを用いて個々の記憶や物語と再会させる劇場空間を制作している。主な展覧会に"still moving"(元・崇仁小学校/2015)、個展"Quantize"(オオタファインアーツ/2014)がある。六甲ミーツ・アート芸術散歩2015出品作家。
web http://tsuyoshihisakado.com



「たてとよこ」
ぼくの父親はすごく厳しい。
何が厳しいかというと、たてとよこ。
実家には、居間にコタツ机がある。
夏はちゃぶ台として、冬はもちろんコタツとして活躍するのだが、その上にはいつもテレビのリモコンが置かれている。
それがビチッと、かなりの精度でたてとよこに揃っている。
今になって思えば、その感覚が僕の作品をつくる中核に埋め込まれたものなのかもしれない。
たてとよこの関係はコタツ机の上に限らず、家の中全てに適応されている。
しんぶん、ゴミ箱、父親が買い集めた釣りやオフロードバイクの雑誌、電話、ストーブ、扇風機、テレビの上に置かれたキューピー人形、時計、写真、タオル、僕が小学校のときに買ってきた伊勢のお土産。
視野角確保の為に特別に45度に傾けられたテレビ以外は、全てがたてとよこのルールに乗っ取り、それは押し入れの細部にまで及んでいる。
小学生のころ、ミニ四駆の改造が目的で父親の魅力的な良く切れるカッターを勝手に使用して、元の場所に戻したつもりが僕のたてとよこのクオリティが低くてすぐにバレてしまい、おもいっきりどつかれた。
父親は恐ろしさの塊だったので、その恐怖から自然とたてとよこの関係が完全に身体に染み込んでいった。
それから月日が流れて、大学院の修了制作で、僕はアンプをななめに置いた。
ものを置くという常に敬意を払う行為のなかで、ななめというグリッドに対するルール違反が、ようやく次の扉を開けてくれた気がした。
今でもななめにものを置くたびに、父親の大目玉を思い出す。

VOL.18 表 恒匡(おもて・のぶただ)

スクリーンショット 2015-04-04 9.55.31.png1981年 広島県庄原市生まれ。京都在住。 2005年 京都精華大学 大学院博士前期課程 芸術研究科修了。KAVC主催「神戸アートアニュアル2005」出品作家 2009年より美術作品や建築の写真撮影業。
web www.omotenobutada-photography.jp



「10年目」
10年ほど前までは作家として活動していましたが、今は美術作品の写真撮影を仕事にしています。制作も発表もほとんどしていませんし、自称ならいくらでも出来ますがそこまでの度胸も個性もありません。もっぱら他人の作品を撮影して生きている訳です。なので、アーティストと呼ばれたら違うように思います。
 撮影業は仕事がギリギリ有るか無いかのような状態で開業しました。制作時間も勤め人より大幅に自由だろう、制作に勤しめるだろうという算段もあったのですが、どっこい憑き物が落ちたように見事に制作欲は解消されていきました。精神をすり減らし、表現を捻り出す様な作家業よりは、誰かの作品を観て、それをより正確に伝わり易く記録し保存し流通させていく事の方が性に合っているようです。伝えたい事は他人の面白さみたいな感じでしょうか。この仕事にあまり苦労を覚えないので向いてもいるのでしょう。
 10年前に展示をした「神戸アートアニュアル」では、企画自体がちょうど10年目の最終回で、当時のディレクターだった木ノ下智恵子さんが「10年一区切り」とおっしゃっていた事を印象的に覚えています。
 10年作り続ける人は少ないのが現実です。自分の解脱、もしくは体たらくの話ではなく、制作意欲を維持し、欲望を向上させ、制作環境を整理し、他人を壮大に巻き込み、多額の借金も惜しまず、そして発表し続ける、そんな自我を持つ人は大なり小なり稀です。
 撮影の仕事はあと4年で10年目を迎えます。願わくばいい区切りにしていきたいものです。

VOL.17 田中朝子(たなか・あさこ)

アーティストコラム_田中朝子さん写真.JPG1972年大阪生まれ。2003年京都市立芸術大学美術研究科博士(後期)課程版画専攻満期退学。KAVC主催「神戸アートアニュアル1998」「Exhibition as media 2009」出品作家。現在、ギャラリーノマル(大阪)から出発した「travel」展が国内外問わず、放浪中。nomart.co.jp/travel/




「掌のシュール」
 ただいま私の作品は旅をしています。というと巡回展の様に聞こえるかもしれませんが、そうではなく、行先も帰りも未定、鞄ひとつの気楽な旅です。
 かたや、私自身は旅をあまりしない方です。なかなか時間が無いというのもありますが、どうもそれはほぼ言い訳で、旅、つまり「非日常」にあんまり興味が無いんだと思います。しかしそれはひっくり返せば「日常」に興味があるとも言えます。
 停められていた自転車のかごに白いウサギがピョコンと乗っていました。
 振りかけたゴマが妙に秩序を感じる散らばりを見せました。
 それらはささやかで心地よいシュールさでした。
 日常でフト現れるこれらのシュールは、世に言うそれと比べて、日常に紛れ込んでいて、それはそれは地味なものです。しかし「現実」と縁遠いイメージのシュールが意外に手元足元、すぐそばで遭遇したことに、なんだか宝物を見つけた様に嬉しくなります。
 そうして小さなシュール達が、私の中にファイルされていきます。これが私のライフワークであり、例えば旅であるとかの「非日常」抜きに、私のファイルは満たされていくのです。というよりむしろ、「日常」の方が働きが良かったりするのです。
 このライフワークの集積をあちこち旅させるのが、はじめにお話した作品の旅です。次回の旅先には私も同伴することになりました。その間、ライフワークはお休みです。たまにはスケールの大きなシュールを楽しんで来ようと思います。

VOL.16 小橋陽介(こばし・ようすけ)

kobashi-prof.jpeg1980年生まれ。2003年に大阪芸術大学を卒業後、展覧会を中心に作品を発表。KAVC主催「神戸アートアニュアル2004」「Exhibition as media 2012」出品作家。
主な展覧会に「クリテリオム66小橋陽介」(水戸芸術館現代美術ギャラリー第9展示室)
「VOCA2006」(上野の森美術館)など。国立国際美術館で開催中の「ノスタルジー&ファンタジー展」に参加しています。9月15日まで。



「壺馬死野図(こばしのず)」

「す」という形は ” + 、o、 Ⅰ ” でできている。
文字だと知らない私は目で見た「す」を模写した。

+ 
o
I

ツボは全部で一〇〇ツボ描いた。
辻褄は合わない。
壺ではない、かもしれない。
おれは一〇〇ツボ描いた。

矛盾が好みだ。
他人の矛盾がその時の顔が好きだ。
(男の股間が女の谷間が好きだ。その時の顔も好きだ)

みんな欲しいサイヤ人のしっぽ。
みんななりたい早乙女乱馬。
小顔の動物。チーター、馬、ねこ。
火、水、染みのついた
破れたドローイング。

花。そう、花です。花のちから。

 十七年生きた愛犬が死にました。その死体をただの段ボールに入れました。花も入れず、しかし、茶色で犬も茶色で地面が白と茶色のタイルで、死んだ犬しか入ってなくて、なんかいいなと思い写真を撮りました。物体が無くなってからずっと、愛犬の全身の絵を描きたいなと思っていたけれど写真を探しても良いのが無くて、結局花をいっぱい描いていた大きい絵に段ボールに入った死体の愛犬の写真を見ながら小さく描きました。でもそれはやっぱりなんかいいなという写真だったので悲しい気持ちにはあまりなりませんでした。大きい絵が進んで行ってどんぐりのために大きく空けていたスペースに愛犬を描こうと思いました。制作中にふと描けそうな気がして何も見ないで記憶だけで形をなぞってみました。ぼくはすごく悲しい気持ちになって泣いてしまいました。

VOL.15 小出麻代(こいで・まよ)

koide.jpeg1983年大阪府生まれ。2009年京都精華大学大学院芸術研究科博士前期課程芸術専攻修了。
神戸アートビレッジセンター主催「1floor2012『TTYTT,-to tell you the truth,-』」出品作家。
HP:http://www.mayokoide.net
展覧会予定
「小出麻代展『空のうえ 水のした 七色のはじまり』」@the three konohana2014年6月6日(金)-7月20日(日)




「ピカピカのアンテナ」
 私には甥っ子がいる。ある日の保育園からの帰り道、彼は突然「水の音がする!」と言いながら駆けていき、少し先のマンホールの上で立ち止まって、そこから聞こえてくる音に必死に耳を傾けていた。それから、「ここは、音がする。ここは、しない。」と、道中のマンホールの音の聞き比べをしながら帰った。彼は、 秘密の答えを見つけたように嬉しそうに笑っていた。
 自分の子供の頃を振り返ってみる時、いつも同じ風景を観察していたことを思い出す。住んでいたマンションの3階からは、真下に駐車場と向こう側に大きなマンションが見えた。その間の場所は、木に覆 われていて、そこに何があるのかは見えなかったけれど、天気のいい日には、ポーン、ポーンと何かが跳ねるような音と、時々、人々の歓声や落胆の声が聞こえた。駐車場に出入りする車の色や形、マンションの扉や窓が開いたり、閉まったりする様子。今考えると大した変化のないような景色に思えるけれど、当時は飽きることもなく、毎日ピカピカと光ったアンテナを働かせ、観察していたのだと思う。音のする場所がテニスコートだと知ったのはもう少し大きく なってからだった。
 いろんなものの正体を知りながら大人になってきたのだろうけど、正体そのものの存在さえも忘れていることが多い のだと、甥っ子と過ごしていると教えられる。だから彼と過ごすとき、私は、もう一度アンテナを磨きながら、いろんなものの正体を一緒に探っている。

VOL.14 木藤 純子(きどう・じゅんこ)

kido_1219.JPG1976年富山県生まれ。2000年成安造形大学造形学部造形美術科洋画クラス研究生修了。KAVC主催「神戸アートアニュアル 2001」、「Exhibition as media2008」出品作家。主な展覧会に2011年「世界制作の方法 “Ways of Worldmaking”」 (国立国際美術館/大阪)「MOTアニュアル2011 Nearest Faraway|世界の深さのはかり方」(東京都現代美術館/東京)など。
展覧会・イベントの予定
「Now Japan」@Kunsthal KAdE(オランダ)〜2014年2月2日(日)
「明倫茶会」@京都芸術センター3月1日(土)


「都会で野生の鹿に会う/利休にたずねよ」 
先日、あるトークイベントに参加しました。登壇者である元スポーツ選手は、世間一般的に無駄だと思えることに時間を費やすことをとても大切にしていると話していました。便利すぎるからスマートフォンは持たない。興味の対象には自ら体験する機会を充分に設ける。そう語る本人の外見はまるで無駄がなく、都会の真ん中で野生の鹿に出会ったような、そんな気持ちがしました。美しかったです。
 さて、来年3月に京都芸術センターでお茶会を行います。憧れはするも、京都という恵まれた土地に住みながら今までほとんど縁がなかったお茶文化を付け焼き刃であることを承知の上で学んでいます。由緒あるお茶室を見に行ったり、お茶席やお稽古に参加させて頂いたり。陶磁器を眺めたり、お茶文化に関するであろう映画を観てみたり。私らしいお茶会が出来ればと、試作とテストを色々な人の時間を奪い (その最もたるは今回の制作協力をして頂いているKAVCの林さんかもしれません…) 準備を進めています。はじめてのことはとくに時間がかかるのだと、無駄かもしれないことに充分に時間を使いながら。みなさんの大事な時間をいただけると嬉しいです。来て、見て、体験してみてください。

VOL.13 中村 裕太(なかむら・ゆうた)

nakamurayuta.jpg1983年東京都生まれ/京都在住。2011年京都精華大学大学院芸術研究科博士後期課程修了。博士号(芸術)。建築空間におけるタイルや陶器などの制作と研究を行っている。KAVC主催「1floor2010『質朴/技術』」出品作家。nakamurayuta.jp/
展覧会予定
「六本木クロッシング2013展:アウト・オブ・ダウト―来たるべき風景のために」@森美術館
−2014年1月13日(月・祝)
mori.art.museum/contents/roppongix2013/


「豆腐と油揚げ」
 京都にある旧明倫小学校の校庭の脇には、アーチ型の便所がある。便所の床や腰壁には、白色タイルが張り巡らされている。用を足しつつ、タイルを眺めていると、どうもそのつやっとした質感が気にかかる。おそらくそのタイルは、1931(昭和6)年に校舎が改築された当時に張られたものだろう。そのためその肌つやは、絹ごし豆腐のようにつるピカではなく、まるで焼豆腐のように表面は日に焼けて、所々、欠けや貫入が入っている。天井、柱、羽目板等に木目の味がでてくるように、月日を経たタイルの白さの中には微かな翳りを見出すことができる。そうかと思えば、扉付近の腰壁には、目新しいタイルで一部分が補修され、いかにも全体との映りが悪い。
 明治期以降の日本の木造建築にとって、西洋からもたらされた白色タイルは、木に竹を継いだようなものと映ったことだろう。とはいえ、タイルは木綿豆腐のように布目をあしらうなどの工夫を凝らすことで、「木」となることを試み、建物に張り付いてきた。しかしながら、いつ頃からかタイルは実用の方に重きを置き、その肌つやからは豆腐のような艶かしさを見出すことは容易くない。
 とはいえ私は、そうした味気のない豆腐から油揚げを作ることにした。豆腐を薄く切り、水気を抜いてから、油で揚げるように、既製のタイルに上薬を施し、窯で焼いてみた。窯を開け、どんなものかと手にとると、表面には木目のように貫入が走り、ぬるっと生乾きの肌つやを纏(まと)っていた。

*「六本木クロッシング2013展」にて白色タイルを用いた展示を行います。

VOL.12 谷本 研(たにもと・けん)

tanimoto_pennant_rgb.jpg1973年神戸生まれ。KAVC主催「神戸アートアニュアル'97 art port」出品作家。'98年京都市立芸術大学大学院修了。主な企画に'99年「当世物見遊山」展(お宿吉水/京都)。'02年より滋賀仰木を舞台に「地蔵プロジェクト」継続中。'03年KAVC共催「新開地アートブックプロジェクト」参加。漫画やデザインも手掛け'09年「Dan Graham: Beyond」展(ロサンゼルス現代美術館)図録に漫画が掲載される。観光ペナントの収集研究家としても知られ、著書に『ペナント・ジャパン』(PARCO出版)がある。また、TENPO PRESS JAPANより、Dan Grahamの漫画のPDFバージョンが販売されている。
英語バージョン:Manga Dan Graham Story [PDF Edition]
https://gumroad.com/l/oWfp
日本語バージョン:まんがダン・グレアム物語 [PDF Edition]
https://gumroad.com/l/tHRA

「遊山のごとく」
 10年来追求しているテーマは〝アートとフィールドワークの幸せな関係〟です。一般的に芸術とは「人間の内面追求」といったイメージが強いかも知れませんが、自分をニュートラルに置きながら、世界に触れ、知っていくフィールドワークの手法から生まれる芸術もあってよいのではないかと考え続けています。
 芸術の何たるかを悶々と考える日々だった芸大を卒業後、京都の古旅館に住み、書生風情の生活をした時期がありました。ここで企画した「当世物見遊山」展では、同世代の美術家を集め〝観光〟を軸に作品展開してもらうと同時に、自分は、舞台となるその場所の地理・歴史、テーマとしての観光文化に思いを巡らせました。まさに〝遊山〟のごとくフィールドワークを楽しみながら、1つの展覧会を作り上げたのです。
 そして'02年からリーダーを務める「地蔵プロジェクト」では、滋賀県仰木を舞台にフィールドワークと企画を交互に行いながら、人や場所との関わりを深め、得た地域資源を表現に繋げる活動を続けています。
 '03年に参加したKAVC共催の「新開地アートブックプロジェクト」も大きな経験でした。新開地の魅力を再発見するために招集され初めておこなったフィールドワークで、昔は川だったという新開地の源流を求めて、足は自然に湊川上流へと向かっていました。そこで初めて、その水源が自分の生まれ育った鈴蘭台にあることを知ったのです。それは、偶然とも必然とも自然とも感じられる驚きでした。
 先入観なく世界に触れることは、見えない内面を追求することと同じくらい難しく、またスリリングな行為だと思います。どちらのベクトルへ向かうにせよ、そこに蜜があるからこそ、アーティストというものは表現活動を続けるのだと思うのです。

VOL.11 芳木麻里絵(よしき・まりえ)

yoshiki-aphoto.jpg1982年鹿児島生まれ。2008年京都市立芸術大学美術研究科修士課程修了。KAVC主催「1floor2008『THREE DUBS』」出品作家。
作家web:http://yoshikimarie.com/

今後の展覧会予定
4月「WOODLAND GALLERY 2013」4/27〜4/29@美濃加茂文化の森|岐阜 6月「韜晦~巧術其之肆」6/11〜16@スパイラルガーデン|東京 7月「Art Court Frontier 2013」7/5〜8/3@ART COURT Gallery|大阪



『クセ』
 最近始めたことの一つに陶芸があります。まずは趣味としてお茶碗や小物を作って楽しみたいと始めました。土をこねながら思うことは、自分のクセについてです。
思い返せば予備校時代にまでさかのぼります。迫力のある荒々しいタッチのデッサンに憧れながらも、私が仕上げるモノはきっちりと細かいタッチで仕上がった画面。きっちりと整えてしまうことが私のクセです。
 今現在はシルクスクリーン技法を用いて、インクの層を何百回と刷り重ねる方法で制作しています。制作過程では、版が壊れたり、ズレたり、思った通りにはいかないことがたくさんあります。ズレやミスは意図していなかった面白い表情を持ち合わせていたりもするので、取り入れていこうともしています。しかし、気がつけば慣れた制作方法の中できっちりときれいに刷り重なるようにしてしまい、自分の手の内に収まるところで作品の完成を決めていることが気になっていました。
 陶芸は思うようにいかないことの連続です。きっちりと形を作りたいけれど、技術がないので整った形にはなりません。思うように進まない中でモノを作り上げることで意図していない形に出会えたり、興味深い刺激を受けています。
 シルクスクリーンの新作では、制作過程で起こるズレやミスを積極的に受け入れてみたいと思っています。きっちりと整えたいクセもできるだけ封印し、何をもって完成とするのかじっくりと向き合ってみたいと思う今日この頃です。

VOL.10 八木良太(やぎ・りょうた)

八木良太.jpg1980年愛媛県生まれ。2012年京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)過程彫刻専攻単位取得満期退学。KAVC主催「神戸アートアニュアル2005」「Exhibition as media 2007」出品作家。作家web:http://www.lyt.jp/

2013年冬開催中の展覧会
「アートと音楽−新たな共感覚をもとめて」@東京都現代美術館 〜2013年2月3日



『その他の引き出し』
 小学4年生のときだったと思うが、担任の先生が学活の時間に「自宅に何に使うのかさっぱり分からないものがあったから、何に使うものなのかみんなで考えてください。」という話をされた。そのことは今でも鮮明に覚えている。
 透明の小さな円盤の周囲に溝があり、その溝には小さな球が4つほど入っている。そして球は溝の周りをクルクルと回転するようになっていて、裏に磁石が付いている。それが何なのかさっぱり分からなかったけど、なんだかすごく魅力的で必死になってあれこれ考えた。結局あまりにも真剣に考えていたから、先生はその謎のオブジェを私にくださった。持ち帰ったはいいものの、いくら眺めても使い道が分からないから、あきらめてテーブルの上に放っておいた。気付いたら母がそれを使って、当たり前のように冷蔵庫にメモを止めていた。
 作品を作っていても、自分でもよく分からないものが出来ることがある。自分よりも先に他人が理解することがあったりもする。最近作った立体を立体視する作品は特にそうだ。知覚は他人と共有できないから、見えているのか、見えていないのかを自分で判断するしかない。ある人は「見えた!」という。ある人は「見えない…」と不満を口にする。どちらが正解なのかよく分からないけれど、単純な「見える」という大前提が揺らぐのを見ていると可笑しい。
 世の中には知識の引き出しに分類不能なものがたくさんある。分からないものは大抵「その他」の引き出しに入れて忘れる。そのひとつひとつに自分でラベルを付けたり、剥がしたりすることは昔から変わっていない。

VOL.9 三宅砂織(みやけ・さおり)

myake portrait.jpeg1975年岐阜県生まれ 2000年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了
2000年神戸アートアニュアル「裸と被」出品作家
2008年Exhibition as media 「LOCUS」出品作家
作家web http://saorimiyake.tumblr.com/
2012年 秋開催予定の展覧会
「キュレーターからのメッセージ 現代絵画のいま」@兵庫県立美術館10/27~12
http://www.artm.pref.hyogo.jp/index.html
自主企画展「アブストラと12人の芸術家」@大同倉庫/京都 11/11~12/16 
http://abstra12.tumblr.com/about


『イメージの選択~マルチーズの概念は犬である。~』
 九歳ぐらいの頃、私が愛用していた辞書は亡くなった祖父のお下がりで、古すぎて読み表記が旧仮名遣いだった。漢字を読むのもままならない子どもが持つには、いささか奇妙な代物であったが、大人の言葉が理解できないことは当たり前だったし、変色した革表紙や香ばしい匂いの紙がアンティークな風格を帯びており、私の好奇心をかき立てていた。だがこの辞書を本来の用法で引くことは少なかった。五十音順にならべられた言葉の羅列の音と意味のグラデーションを眺めて、そこから醸し出される何とも言えない雰囲気を楽しむか、それに飽きたら、解説文の中にある気になる単語を調べ、その先でまた気になる単語を調べて、どんどんページをジャンプしていくゲームブックのような遊びに用いていた。  
 ある時「概念」という言葉に行きあたった。意味は何と記されていたか忘れてしまったが、使用例に「マルチーズの概念は犬である。」と書いてあったことを、今でもはっきり覚えている。一体誰がこんな使いかたをするんだ、という指摘はさておき、この辞書では解説文だけで不十分な場合、使用例なる短文が載せてあり、ほとんどが文芸からの引用であるためか、どの文も一行で十分な美の気配があった。しかしこの「マルチーズ~。」には衝撃をうけた。なんだか分からん…この一文には知らない単語なんて無いのに…。でも、これはこれでしかないんだ、という神秘的な納得、このときの感じはどんな絵を描くか選ぶときの感覚にとても近い。

VOL.8 青田 真也(あおた・しんや)

 青田真也.jpg1982年大阪生まれ。2008年愛知県立芸術大学大学院修了。2008年「1floor2008『No potato of name』」出品作家。主な展覧会に2010年「あいちトリエンナーレ2010」(長者町エリア/名古屋)、個展(青山|目黒/東京)など。*現在、名古屋市美術館で開催中の展覧会「ポジション2012」(2012年7月16日まで)に参加。



『ここ最近について』
 進学をきっかけに名古屋へ来て、今年で7年目です。当初は2年で関西に帰るか、新しい場所へ行くか、なんてことを漠然と考えていました。こちらへ来てから遠出することはあっても名古屋の町を出歩くことはあまりありませんでしたが、最近は町を散策したりおいしい呑み屋を見つけたりするようになりました。
 住めば都とは言ったもので、自分が町に入り込めばたくさん面白いことがあるように思えてきて、いい意味で別の土地への興味にも発展します。6月半ばからはソウルへレジデンスに行きます。短い期間ですが何かしらのきっかけになれば良いです。
 今年から名古屋の長者町にスタジオを借りています。この町はもともと繊維街ですが、あいちトリエンナーレの会場となって、アートセンターができたり、ギャラリーや、作家が運営するスペースなどがあります。僕が借りているスタジオもかつて店舗だった場所で、空きスペースをアーティストに貸し出そうという実験的な取り組みの1つです。土地柄、町の社長から近くに遊びにきた友人、海外の作家やキュレーターなど様々な人がスタジオを訪ねてくれます。こういう場所にスタジオを持たせてもらうことはとてもありがたいし、僕自身、人が集まるということに対して可能性やおもしろさを感じています。いつか自分の作品をきっかけに、いろんな人が集う空間をつくってみたいという大きな構想があります。今やっている活動もその為のアイデアを得たり人と繋がったりすることだと思うととてもわくわくします。
 これであと仕事とお金があれば良いのですが、そうそううまくは行かないものですね…

VOL.7木内貴志(きうち・たかし)

kiuchi-kao3.JPG1973年京都生まれ。1997年成安造形大学卒業。1996年「神戸アートアニュアル96」出品作家。1997年の個展「木内貴志大回顧展」(VOICEギャラリー/京都)以来、主に関西を中心に作品を発表。木内貴志ホームページhttp://www.kiuchism.com *最新の発表予定は「大イタリア展」2012年5月19日~6月23日、大阪のstudio Jにて。
文中の企画「木内貴志フリマ」はARTIST FM ZERO,ONEにて(2月26日~終了日未定)開催中です。詳しくは http://kenichi-takasu.com/zero/



『断捨れ男爵』
30代も後半になると、身の回りに様々な物が集積されてきますが、それが生活空間の許容範囲を少しずつ圧迫してきてるので、整理せねばと思ってます。
しかし私、元来のケチでもったいなガリな性格から物を捨てるのが下手で、また面倒くさガリの性格から、物の整理と活用も下手なんです。
「断捨離」なんて言葉が流行ってる昨今、友人たちが色んな物を整理してる様を見たりして、「自分も」と思ってた折に、「美術作家が私物を販売する」という企画に呼ばれたので、この際「ダンシャロー!」と部屋を整理してみたのですが、やはり「捨てる・捨てない」の基準と思い切りが甘く、つい「これもまた何かに使うかも」と捨てられず。かといってそれらの物を使うわけでもなく、保留され再び押し入れに戻って行く…という作業の繰り返し。
そう言えば、美術作家として作品を作り出した当初も、ただ自分が見たり、人に見せたいという思いだけで作っていて、「販売する」という感覚はほとんど無く、たしか初個展でも作品に値段付けて無かった気がするくらいなんですが、数年を経た後、家に作品が溜まってきてようやく、「あ、このままやったら置く場所無くなるやん」と気付き、「捨てるくらいなら売らねば」と販売を意識して値段を付け始めたのでした。
ま、値段付けたからと言って作品が売れるわけではないのですが…。
結局、作品もどんどん溜まってきていまして、まだまだいろんな物やら思いやら、ダンシャレないな~と思う今日このごろです。


VOL.6 宮田篤(みやた・あつし)

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1984年愛知県生まれ。2009年愛知県立芸術大学美術研究科美術専攻修了。KAVC主催「1floor2011『草の道 公園の壁』」出品作家。主な展覧会に2010年「ふしぎの森の美術館」(広島市現代美術館)など。
宮田篤HP:http://ochakann.exblog.jp/



『KAVCとTAP』
行ったことのある方はご存知だと思いますが、KAVCはすこし変わった空間ですね。ぼくはいつも、展示に限らず何かをするとき、自分なりにその場所の特徴を見つけようとします。今回は「①ギャラリーから、②1roomを通って、③窓ガラス越しに、④外まで」が段階を経て、美術と新開地5丁目を共有し合っている気がして、あまり他にないKAVCの特徴なんじゃないかな、と思いました。場所の特徴に気づくことは面白いですし、作品の展開も変わりますから大切にしています。

現在は茨城県取手市の、取手アートプロジェクト(TAP)のパートナーアーティストとして、宮田篤+笹萌恵「ちくちく地区:井野団地」などを展開中で、とても大きな「取手井野団地」にある色んな名前を旗にして飾っています。写真では洗面所に「せんめんじょ」という旗がかけられていますが、そこは2011年の10月にオープンしたばかりの、井野団地におけるTAPの新しい拠点「いこいーの+Tappino」です。

ここから団地全体を舞台にして、色んな方とお話ししながら、どんなことをしようか考えています。震災や原発事故の影響も少なからずあります。まずは団地の掲示板でマンガ「リカちゃんハウスちゃん」や、増えた旗をお報せする「ちくちく地区会報」を連載しはじめました。他にも徳久ウィリアム・深澤孝史・北澤潤・馬場正尊といったアーティストが参加していますし、もっと様々なことができるでしょう。これから井野団地のどんな特徴に気づけるか楽しみです。

VOL.5 稲垣智子(いながき・ともこ)

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1975年大阪府出身。2001年英国ミドルセックス大学美術学部卒業。KAVC主催「神戸アートアニュアル2002」出品作家。最近のアート活動には2010年 「Transmediale」, Berlin。2009年 「Twinism」, Kunsthaus, Hamburg/AD&A Gallery, 大阪等。

〈展覧会情報〉 個展「Pearls」

会期:2010年5/7(木) ~ 5/22(土)
会場:The Third Gallery Aya
[アーティストトーク]5/7(木)19:30-21:00
参加費:700円(税込・1ドリンク付)
定員:25名(要予約)
予約先:06-6445-3557/ayay@osk.3web.ne.jp


「ハンブルグ、ロンドン、日本」
 私はいま縁があってハンブルグにて一年間のアーティストインレジデンス中です。ドイツは清潔安全真面目で、食べ物もおいしくて(賛否両論ありますが)住みやすい国です。そんなドイツのもう一つの魅力は旅行に行きやすい立地だということ。
 2月に一週間、3年ぶりにロンドンに遊びに行ってきました。現在ロンドンは不景気まっただ中。以前、ロンドンに大学留学していた時に出会った友人たちと久しぶりの再会を楽しみながらも皆不景気でさらに皮肉屋になっているん じゃと思いきやそんなこともなく、それより彼らの活動が新鮮で刺激的なのにびっくりでした。音楽のレーベルを作っていたり、自分たちで立ちあげたクリエイティブ系の会社が成功していたり、若者用タンゴイベントでブームに乗っ取っていたり、有名監督の新作映画の美術担当をしていたり、同世代がめきめきと頑張っている。不景気だからこそ会社を始めようとしている人たちもいて、今が新しいことをする機会ってことを教えてくれました。そうだ、私たちは何でもできるし、今までの方法ではなく、また違うやり方があるのだとキラキラと希望が見えてきたのでありました。
 そんな私が作る作品は新しい試み。ハンブルグで声をかけてモデルになった人たちに出演してもらう映像とインスタレーションです。どんな作品になっているかは5月の帰国展をぜひ見てくださいね。日本に私が帰国したら久々の日本社会をリニューアルな視点で見られるでしょう。新しいことに挑戦です。

VOL.4 栗田咲子(くりた・さきこ)

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1972年岡山県生まれ。1997年京都市立芸術大学大学院絵画専攻修了。KAVC主催「神戸アートアニュアル1997」、「Exhibition as media 2008」出品作家。主な展覧会に個展(FUKUGAN GALLERY/大阪)など。
〈展覧会情報〉個展『数珠の茂み』会期:2009年12/19(土)~2010年2/13(土)会場:FUKUGAN GALLERY、「国立国際美術館新築移転5周年記念『絵画の庭─ゼロ年代日本の地平から』」会期:2010年1/16(土)~4/4(日)会場:国立国際美術館


「言葉にたよる」
 15年間絵画を続けているが、自分の領分を勝手に狭く捉え過ぎていたせいだろう、しょっちゅう限界を作ってきた。しかし、いま自分と世界の関係をつくる手だてとしての絵画制作が少しずつ意味を成して来た気がしている。
 いま私は、ことばの使い方・文章の組み立て方(日本語)にとても惹かれている。長い間避けて来た言葉や文章を自分から進んで探している。小説や民話などの本を読んでいると、物語を楽しむ以上に語と語のつなぎかた、文と文の響き合い、章から章への展開に感じ入ることが多い。
 絵画的、映像的にイメージがクリアに浮かぶ文章も素晴らしいと思うが、言葉には視覚イメージから組み立てることができないイメージがある。それは文字(意味)を直接読んだ人の脳内にだけ現れる、像になるまえの音と意味のぶつかりから生まれる感覚である。途中に文字の無い空白を作っても、言葉と言葉が繋がってくるのが文章であるが、私が今特に面白いと感じるのは、そのような説明の欠落した(または敢えて省いた)文と文のつながりである。
 言葉から触発される感覚を視覚化できるかもしれない。描かれる複数のイメージとイメージの間に奥行きや時間が生まれてやがて一体化する。私は断片を強調するように作ることに興味は無い。
 つなぎ目がわからないように一体化した像の中に、断絶しつつも繋がる一連鎖を楽しみたいと思っている。

VOL.3 中川トラヲ(なかがわ・とらを)

nakagawakao.JPG1974年大阪府生まれ。1997年成安造形大学造形美術科造形表現群洋画コース卒業。KAVC主催「神戸アートアニュアル1997」、「Exhibition as media 2009」出品作家。主な展覧会に「タイム・オブ・マイ・ライフ」(東京オペラシティアートギャラリー/東京)など。


「社会人ってすごい」
 えー、中川トラヲと申します。
 日々の生活、その中で人は社会との接点が必要だったりします。
 その社会とは何かと疎遠な作家が、唐突に社会というものに乗り込むと、一種のカルチャーショックを受ける「社会人」と言う人たちに出会うんです。なぜ社会人にカルチャーショックを受けるのかというと、その尋常ではない精力的な活動に脱帽する事がたくさんあるのです。
 その一端の例としてはこんな感じ。
・まず遅刻なんてしない、したとしても電車の延着とか。
・会社ぐるみの飲み会では上司の話し相手として嫌な顔もせずに朝まで付き合う。
・残業はまず基本。
・終電で帰るのも基本。なのに飲み会ではすごく楽しそう。
 最近故あっていわゆる大企業の末端で働いてみたりしてるんですが、もうみんなそんな感じなんです。僕にはこの人たちのバイタリティーの源が何なのか全く理解できないのですが、正直、もしも自分が作家を目指さずに就職して社会人になっていたとしても、そんな事はとても出来ず早々に根をあげてニート生活をしていたと思うんです。いや、もうニートです。
 だって無理、箇条書きにしたやつ全部全然無理だし。
 こういった事に脅威的なまでに驚くのは、ずっと団体的なものに属さないで個人単位で自分のためだけにここまでやって来た僕と、高校や大学を卒業してそのまま社会人としての生活を始めた人たちとの間に広がる深い溝のようなものを目の当りにして驚いているんだろうと思います。彼らの尋常でない行動力がしばしば僕に尊敬の念を呼び起こさせて仕方無いのです。
 一番遠い隣人が頑張るような世の中は素晴らしいのかもしれない。
 そんな事をふと思いながら。

VOL.2 中西信洋(なかにし・のぶひろ)

ACnakanihi_portrait.jpg1976年福岡県出身。2001年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。KAVC主催「神戸アートアニュアル2001」、「Exhibition as media 2007」出品作家。主な展覧会に2007年「六本木クロッシング2007:未来への脈動」(森美術館/東京)など。

〈展覧会情報〉
「コレクション/コネクションー福岡市美術館の30年」
展関連企画『中西信洋:Layer Movies』
会期:2009年8/8(土)〜9/27(日)
会場:福岡市美術館 2Fロビー
「こどもがうまれて」
 子供が生まれてもうすぐ2年が過ぎようとしています。
 このくらいの子供は言葉を話し、理解ができる様になり、「ジュース」「ちょーだい」などの単語で会話をします。赤ちゃんという雰囲気から脱しつつも、まだ文章としての言葉をよく理解出来ていないような感じです。私のやる事を何でもまねようとします。何かを要求する時は体をよじり、声を張り上げ、全身の力を使ってアピールをします。こうして文章を書いているときにもパソコンの電源ボタンを押そうとします。叱っても、理由がよく理解出来ないので叱られたという事実だけでまた泣き叫びます。
 子供をもつ前と今との生活は当然大きく変わりました。食べるもの、会話、見るものなど様々なことに影響を与えます。日常生活のなかで、物や行動を選択する基準は子供が中心になります。
 私の考え方が変化した部分を言うと、ずっと長い先の事を意識する事が多くなりました。子供が大きくなった時の世の中の事だったり、今とこれからを暮らしていく環境のことだったり。
 よく「親になってみるとわかる」と言いますが、これは親になった瞬間からわかるのではなく、毎日、じわじわと人間になって行く過程をありありと見せつけられ、日々10キロ少々の体をフルに使ってぶつかって来る力と、思いっきり泣き叫んだり笑ったりする声とに翻弄されながらじわじわと身を以て知らされていく様な感じです。

VOL.1 金氏徹平(かねうじ・てっぺい)

kaneujikao.JPG1978年大阪府出身。2003年京都市立芸術大学大学院彫刻専攻修了。KAVC主催「神戸アートアニュアル2003」、「Exhibition as media 2007」出品作家。主な展覧会に、2008年「MOTアニュアル2008 解きほぐすとき」(東京都現代美術館)など。


「映画監督への夢」
 小学校の頃、赤塚不二夫の『まんが入門』を読んで、最初に持った将来の夢は漫画家でしたが、思うように描けず、早々に断念してしまいました。次に憧れたのは映画監督でしたが、前提として機材や共同作業が必要でつまずきました。そんな諦めを繰り返し、なぜか残ったのが美術だったように思います。
 しかし、最近になってまた映画への憧れが再燃してきて、モヤモヤと考えをめぐらせています。そもそも僕の好きな映画はストーリーがあるような無いようなもので、リアリティの断片の積み重ねでできているものです。その断片さえあれば映画を作れるのではないか、もしくは今までの彫刻、写真、インスタレーション作品などがそのまま断片になりえるとも思っています。
 そもそも、僕の考えるリアリティとは、例えば映画『ねらわれた学園』で宇宙人の腹に描かれた目玉のようなもので、思春期にうなされて見る夢は、精巧なものではなく、そのようなものに近いと感じています。
 また、ありえない恐怖や混乱は映画『死霊のはらわた』に出てくる、セットの森と合成でフレームごと貼付けられた大きな月にリアリティがあると思うのです。
 他にも映画の中でリアリティを持って劇的な場面を作る1つの要素として歌があると思います。三輪明日美の「あの素晴らしい愛をもう一度」。ニコラス・ケイジの「Love Me Tender」も素晴らしかったですが、何と言っても映画『ふたり』のラストで大林宣彦監督が自ら歌う「草の想い」は永遠の憧れです。

イベント情報

KAVCレンタル施設

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