あれこれコラム

あ/れ/こ/れ/コ/ラ/ム
演劇やダンスに関わる舞台人たちによるエッセイをお届けします。

きたまり

kitamari.JPG演出家、振付家、ダンサー。京都造形芸術大学在学中の2003年にダンスカンパニーKIKIKIKIKIKIを設立。以後、国内外で上演活動を多数行う。これまでに「TOYOTA CHOREOGRAFER AWARD2008」にて振付作品[サカリバ007]でオーディエンス賞、「横浜ソロ+ディオ〈Competition〉+」にてソロダンス[女生徒]で未来にはばたく横浜賞受賞。
9月のKAVCプロデュース《クロスオーバー・ザ・KAVC》多田淳之介演出作品にダンス指導等で参加。http://www.kitamari.com


「体ってすばらしい」
 ダンスを始めてちょうど10年目になる。最初の3年辺りまではとにかく体を鍛えたり柔らかくすることに必死だったが、4年目頃からダンスで作品をつくり人前で上演することに快楽を覚え、とにかく無我夢中で。つくって踊って、みて下さった方々の辛口コメントでバシバシ鍛えられ「ちきしょう! コンチキショウー!」と叫びながら続けてきた。
 そして、10年目。実は少しホッとしている。ちょうど節目の時期というのもあるのだろうけど、このターンを切り返せば、15年20年目はもうすぐな気がする。けれど、30年目はどうでしょうか。ああ、恐ろしい。
 けれど、この10年で変化してきた、体をみると「えらいねえー」とほめてやりたくなる。人間の体はいくらでも変化していく。繊細に自分の体を感じることができると他人の体に対しても敏感になる。体=人だから、人間そのものに敏感になるのだ。私は10年前は愛想笑いの一つもしない女子でしたが、今じゃ四六時中ヘラヘラ。これは、年のせいかもしれませんが、多分ダンスのお陰だと思う。嫌なことあっても体うごかせば忘れてしまうし、すっきりする。体と向き合うのは最初は大変なことだか、これがハマると結構おもしろい。
 だれでも体のコンプレックスはあるだろうけど、自分の体を受け止めて愛着抱いて生涯付き合わないといけんのよ。ああ、体ってすばらしい。皆様、劇場に体を見にいらっしゃい。

阿比留修一(あびる・しゅういち)

あびるPR写真.jpgあだ名は「かかとのない男」。俳優を目指し近畿大学芸術学科に入学するが、ダンスに魅了され踊る人生を選択。97年、隅地茉歩とセレノグラフィカを結成。以後全ての作品に出演し国内外問わず活動。「紙のように舞う」のが信念。平成8年度大阪府芸術劇場奨励新人。3月のKAVCプロデュース「Xのフーガ’10」出演。


「踊る人生の誕生日」
 金魚運動とどらの音。それは私の第二の産湯のようなものだ。
 私は俳優を志し、近畿大学芸術学科に入学した。その最初の実技の授業での出来事。実習室に入ってきた先生(後に私の舞踊の師となる)が隣の器具庫からどらを持ち出し、名前も名乗らずにいきなり叩き始めた。耳にうるさすぎる音が響く中、「寝ろ~、ムニュムニュだあ~」という言葉が。私は意味がわからないまま言われるがままに必死で仰向けに寝ながら身体をムニュムニュとくねらせていた。まさに金魚のようにである。その後、私を含む生徒たちは三列に並ぶように指示され、先頭に立つ先生の真似をしながら動いていった。後にこれは私の舞踊人生の初期の基礎トレーニングとなる内容のものだった。
 意味が全くわからない、完全に思考停止。ただ必死で身体を動かしていた。その時の衝撃は今でも忘れられない。それまではダンスなどとは全く無縁の人生を送ってきた私だった。身体の柔らかさなどの持ち合わせも無く、小さい頃からの癖でかなりの猫背かつO脚。そんな私にとって、踊りは他のことより程遠いくらいの存在であった。にも関わらず踊り続けて21年が経つ。踊りや身体は今でもわからないことだらけ。だからこそこれからも踊っていくのだろう。
 現在、ワークショップやアウトリーチでたくさんの人たちに出会っている。中には、あの時の私のようにワーク内容に“?”の渦巻く人もいることだろう。でもだからといって踊る機会をあっさり手放さないで欲しいと思う。ダンスがあなたに門前払いを食わすことは決してないのだから。

山下 晶(やました・あきら)

yamashita_0394.jpg役者・作家・演出家・プロデューサー・グレコローマンスタイル主宰。02年、博多を拠点に「グレコローマンスタイル」旗揚げ。劇場空間にとらわれず、カフェやライブハウスでのオムニバスコントなど様々な試みにチャレンジ。近年は、劇団外で、能と現代劇とオーケストラのコラボレーション作品の演出やロングラン公演のプロデュースなど活動の幅を広げている。関西では、06年にリリパットアーミー2の中之島演劇祭2006参加作品に客演。08年、劇団太陽族「往くも還るも」に出演し、2010年の再演で神戸初登場。


ヒマワリのキイロ
 僕、黄色大好きです。イエロー。あの溌剌とした発色具合。燃え上がるような情熱があるわけでもなく、凍てつく冷静さも持っていない中途半端さ。かと思えば、三原色の中に入る自己表現力の強さというか、したたかさ。あ、強いから強か(したたか)なのか。と、このように、僕のハートをむんずと鷲掴みにして離してくれないキイロ。実際、娘の名前をつけようとしたときに『喜衣』か『嬉奈』(熊本の方言でキイロの事をキナイロと言います)で迷ったぐらいですから。
 子供のころから好きでした。否、告白します。隠れキイシタンでした。僕らの年代で九州弁話してちょっと小太りなキイロ好きなんて言ったらもう、有無を言わさずカレーが出てきて=キレンジャーでしたから。子供ながらも、やはりその定位置は避けたく『ごめんよ、キイロ』なんて事を思いつつミドレンジャーをやったものでした。
 自信を持って『キイロ! 大好き!』と言えるようになったのは、数年前ヨーロッパに行ってからです。断言します。僕は旅好きでも趣味美術館巡りでもありません。格安ツアーの行程の中に組み込まれていただけです、『国立ゴッホ美術館』。僕の語彙能力の無さには我ながら辟易するのですが、もう、立ち尽くすしかなかったのです。本物が持つ圧倒力に。溢れ出すパッションに。佇まいのクールさに。もう、定冠詞付けて言ってしまうくらいTHE イエロー! そう、フィンセント・ファン・ゴッホ作「ひまわり」。この絵を見てから、自慢げに、そこかしこで『キイロ! 大好き!』言ってます。因みに娘の名前は栞奈(カンナ)です。

伊藤千枝(いとう・ちえ)

itochie(c)David Duval-Smith.jpg振付家・演出家・ダンサー・珍しいキノコ舞踊団主宰。‘90年、日本大学芸術学部在学中に珍しいキノコ舞踊団を結成。以降全作品の演出・振付・構成を担当。03年、フィリップ・ドゥクフレ「IRIS」の演出アシスタント、03年〜04年、NHK教育「ドレミノテレビ」、07年、映画「めがね」(荻上直子監督)、UA「黄金の緑」の振付など多彩に活動。05年より桜美林大学の非常勤講師を務める。


「家」が好き
 私は自分の「家」が好きだ。休みになると「遊びに行こう!」と外へ出掛ける人たちもたくさんいるが、私はずーっと自分の家にいる。家では何をしているわけでもなく、掃除したり、ゆっくりお風呂に入って、あとはボーッとテレビを見たりして何でもない時間を過ごしている。ある時期から、私の作品のテーマは「家」とか「部屋」になっていった。自分はどこにいるのか、自分の場所はどこなのかと考えていくと、行き着くところはいつもそこになってしまうのだ。
 私が育ったのは東京の雑多な地域で、色々な人たちに囲まれてガチャガチャと育った。今思い出してもおもしろエピソードはたくさんあるし、その思い出のたくさんある場所、家が一番落ち着くし安心できるのかもしれない。思い出や経験は、私にとっては地面のようなもので、今はようやくその上を歩いているような感じだ。子供のころ、世界は自分の「家」を中心に回っていたが、今も同じなのかもしれない。
 先日、久しぶりに家族全員で夕飯を食べ、食後にボーっといつものようにテレビを見ていた。そのボーッとしている家族の姿を見たとき、突然ものすごく「幸せだなぁ」と思った。その「幸せだなぁ」を何度も味わいたくて、その後何度も家族で食事をし、益々家にいることが多くなった。何でもない時間が私の地面をつくっていく。世界の中心が私の「家」なんだからしようがない。

多田淳之介(ただ・じゅんのすけ)

TADAPHOTO.jpg東京デスロック主宰、演出。青年団演出部。身体にかかる負荷によって戯曲を現前化させる演出が特徴。「演劇LOVE」を公言し、海外での創作活動や国際演劇祭のディレクター就任、富士見市民文化会館キラリ☆富士見での地域・教育機関へのアプローチなど、国際・地域・教育を軸に芸術活動を行う。


演劇LOVE
 7月にKAVCで上演させて頂く「演劇LOVE2009」ツアーの一発目として、韓国の光州で上演してきました。光州は半島の南西にある、いわゆる地方都市でして、光州で初めて開かれる演劇祭に光栄にも参加することが出来ました。東京デスロックのくせに東京公演を休止した後、最初の非東京公演だったんですが、早速地方の洗礼を受けてしまいました。リハーサルを終えた後、フェスティバルのディレクターに「この作品はわかりにくいから、観客に説明をしてから始めてはどうだ?」と言われました。光州はソウルと違って初めて演劇を観る人がほとんどだから、とのこと。で、結果、説明はせずに上演しました。もちろんわかりやすさ、は大切ですが、説明することは逆に鑑賞の自由を奪うことになります。芸術鑑賞は自由が命だと思っています。作家がどんな意図で作ろうが、観客が感じたことが全てです。わかりやすい、わかりにくいじゃなくて、何かと自分の中とが繋がる瞬間を自由に探すことが鑑賞でしょう。そのことに作り手も観客も自信を持つことが、舞台芸術の未来を作る気がします。特に今回の「LOVE」という作品は、そういう鑑賞の在り方を提示している作品です、愛なんて、ホント人それぞれですから。ちなみに、観客の反応は、台詞をお客さんも大合唱という前代未聞の盛り上がりを見せまして、光州、なんて自由なんだ! 最高! 終演後ディレクターとは話せませんでしたが、韓国人の舞台監督が「ディレクターも観客の反応を見て考えを変えたと思うぜ」みたいなことを言ってくれました。演劇LOVE。

山根千佳(やまね・ちか)

山根千佳.jpg役者・ダンサー・振付家。女性5人の演劇ユニット・TAKE IT EASY! 所属。2009年夏にはKAVCで市内の高校生たちとGo! Go! High school Projectに取り組む予定。直近の公演予定は“立体少女漫画”の異名を持つ彼女たちが、今敏の名作アニメの立体化に挑戦する「千年女優」(2009.1.16~18 @HEP HALL [問]http://www.tekuiji.com)。


それはいつかやってくるのですか
 昔あんまり面白くないなぁと思って読むのを断念した本がある。でも最近、ああ、そう言えばこれ途中までしか読んでなかったよなぁと思って、ふと手に取って読んでみたら、結局するすると最後まで読めてしまった。しかも、結構面白いと思いながら。年を取ったからだろうか。大人になったからだろうか。何かそれだけじゃない様な気がする。これって要はタイミングの問題なんじゃないだろうか。最初に出会った時、私とその物語は出会うタイミングじゃなかったのだ。私の中にそれを受け入れる準備が整ってなくて。そして、一番良いタイミングでまた出会ってその面白さを味わう事が出来た。そう考えると苦手だなぁと思う人、物、出来事に出会った時、あぁ今はまだそのタイミングじゃなかったのだ。と全てを拒絶する事のない自分でいたいな、と思うのでした。それでもまだまだ苦手な物がいっぱいあるんだけど。いつか受け入れられる日は来るのか。

小野寺修二(おのでら・しゅうじ)

DSCF1315.jpg北海道生まれ。日本マイム研究所を経て、95年、パフォーマンスシアター「水と油」を結成。2003年、第2回朝日舞台芸術賞(朝日新聞社主催)の「寺山修二賞」と「キリンダンスサポート」をダブル受賞。2008年3月にKAVCプロデュースのマイムパフォーマンス公演で「Xのフーガ」を発表。近々の活動として、2008年12月東京シアタートラムにて新作公演演出(浅野和之主演)、同じく12月新潟りゅーとぴあ10周年記念ミュージカル振付など。


『Xのフーガ』海外公演
2008年3月KAVCプロデュースで初演した『Xのフーガ』が、この夏海外フェスティバルに招聘された。向かうは2カ国、フランス(ペリグー)とポーランド(ワルシャワ)。1月のオーディションで初めて顔を合わせたキャストの人たちと、このような旅をすることになろうとは。僕個人としては神戸に来て、そして共通言語のない初顔合わせの人々とサラの状態から何か形にすること自体が勝負で、海外でやるも国内でやるも関係なく、出発の時点で何かは完結している…と思って出かけたのだが、いざ着いてみると何やらいちいちにテンションが上がる、上がってしまうの状態だった。幸いどちらの地でも大変好意的に受入れられ、無事帰路についた。そうして帰って来た今の結論としては、続けようということ。この1回で何かをというわけではなく、とにかく次に繋げようと。また来年行く予定。そんな神戸発の『Xのフーガ』を、引き続き見守って頂けると幸いです。

北村想(きたむら・そう)

北村想.jpg
1952年生まれ。1979年より名古屋を拠点に劇団活動を展開し作・演出に取り組んできたが、2003年、プロジェクト・ナビの解散以降はフリーで戯曲や小説の執筆、演出に取り組む。伊丹アイホール主催の戯曲塾「想流私塾」で後進の指導にあたっている。
10月16日(木)~19日(日)KAVCプロデュースにて、北村想書き下ろし・ミステリー音楽劇「嗚呼、私の探偵は!」を上演。


ガンで逝くひとびと
 こないだ、元劇団員だった女優が、闘病数年、入退院をくりかえしつつ、立派に逝去。立つことも坐ることも出来なくなって、ベッドに寝たきりだったが、それでも数ヶ月頑張った。頸椎ガン、ステージ5の知己もいて、それ以上は抗ガン剤の薬価が保険診療にならないので、金の切れ目が命の切れ目というメールがきた。昨日、試写室での邦画の試写を観にいったら、ひょっこり肺ガンの新聞記者と出逢って、「明後日、どこに転移しているかがわかりまんねん」だそうで、「ひさしぶりに、きたなどころでも集めて、呑みましょうな」「きたなどころはあきまへん。きれいどころにしとくれやす」てな会話をする。最後の晩餐ならぬ最後の飲み会になるのは必至。人の世のならい。とどまりたるためしなし。諸行無常。

市田京美(いちだ・きょうみ)

市田京美.jpg1973年に渡欧し、1982年よりピナ・バウシュ&ヴッパタール舞踊団に参加。1998年よりフランスに移り、夫の Thomas Duchatelet が主宰する Thomas Duchatelet Company で活動中。2008年春KAVCで公演予定。

零下のシャロン

 約7年前より依頼があれば夫のト−マスと二人、バック・ダンス〔高校卒業試験のオプションとしてのダンス〕のレクチャーの為、フランス国内を駆け巡る。今シーズンは、昨年も同じ時期に出かけたワインで有名なブルゴーニュ地方の二都市、ニェーヴとシャロンから始まった。数多く出かけていると余程特徴が無い限り、思い出すのはホテルとレストランと何とも味気ない話だ。そんな中、シャロンはボケ始めた私の頭にも鮮明に残る。どこにでもある田舎町だが、仕事先の国立アカデミー学校の前に咲いていた可憐な桜の花がそれだ。昨年は暖冬だったこともあり、狂い咲きでもしたのか、と訊ねたら冬に咲く桜だと答えが返ってきた。今回もその桜を期待して出かけたのだが、零下の中の桜はこちらの身も縮んでしまうほど心細げに寒々と咲いていた。その下を通り抜け、学校の中に入るとまたその反対側にもガラス張りの入り口がある。その入り口の向こうに何と信じられない光景が…。
 今月、1973年に渡欧して以来、35年振りに日本の秋に一時帰国した。仕事を兼ねてとはいえ同窓会、温泉、紅葉とプランはぎっしり。中でも楽しみだった紅葉は、11月中旬過ぎに和歌山、京都と友人に案内してもらった。しかし紅葉は始まったばかり、期待はずれに落胆してこちらに戻ってきた。そんな私の前に、ガラス越しに見事な街路樹の紅葉が目に飛び込んできた。まさに35年振りの鮮やかな紅葉である。何と皮肉なことか。
 今回のシャロンは視覚に加え、味覚でもワインは勿論、手頃な値段のヌーベル・クイジィーヌのフランス料理に舌鼓。夫と二人、思わずニンマリ。

いいむろ・なおき

51.jpg県立宝塚北高等学校演劇科卒業後、1991年単身渡仏。パリ市マルセル・マルソー国際マイム学院卒業。1998年帰国後、ソロ公演・カンパニー公演に取り組むほか、演劇・ダンス公演へのゲスト出演多数。10月11日〜14日、大阪・芸術創造館にて、いいむろなおきマイムカンパニー本公演「from the notebook」上演。詳細はhttp://mime1166.com/ KAVCプロデュースにて「水と油」のおのでらんと共同プロジェクトを企画中。2008年3月公演。

ケンカしよーぜ!

 「ヤクシャにとって一番大変な作業は台詞を覚えることなんでしょ? いいよなぁ〜、とりあえず覚えたら成立するんだもんね」とか、「ダンサーはいいよね、理由なんてなくてもとりあえずクルッて回ったり、ミョーに長い間をつくったら成立するんだから」なーんてチョーセン的なことを言っても誰もケンカしてくれない。逆に僕の回りの役者さんやダンサーさんはとても優しい。「壁ってどうやるんですか?」「日々のトレーニングって大変なんでしょ〜」…なんだなんだ! みんなケンカしよーぜ! 同じ舞台表現なのにどうもマイムって「よそ者」扱いなんだよな〜、なんて台詞芝居やダンス公演に関わるたびに感じる。みんな「マイム=技術」って思ってる? …いやね、僕は基本は演出家なんです! 台詞芝居よりドラマティックでダンスより緻密な身体のコントロールを目指して公演してるんです! さぁ! みんな、とりあえず見に来い! そしてケンカしよーぜ! さぁ! いつでもかかって…きて下さい…よろしくお願いします…いや、あの…お手柔らかに…。

宇田 学(うだ・まなぶ)

50.jpg2000年、特に母体を持たず芝居好きの人間を集めてPEOPLE PURPLEを結成。以後全ての作品の脚本、演出を担当。また劇団の看板俳優としても活躍。徹底的にエンターテイメントを追求した作風で注目を集めている。第18回池袋演劇祭にて大賞を受賞。「crystal EVE」は、KAVCに続いて9/22〜24に東京・六行会ホールにて公演を行う。

アウトドアと言えないアウトドア。

 野宿したことありますか? 僕はあります。20歳のときに芝居に打ち込みすぎて、家賃が払えず家を失った。それから始まった真冬2ヶ月間の路上生活。
 寒い。とにかく寒い。栄養失調で死にかけた。ゴミだけがあされなかったんです。食べ物だけにはかなり潔癖な僕。賞味期限が一日でも切れていたら絶対に手をつけない。落ちた物を吹いて食べることさえ出来ない。なので栄養失調になったんだと今は思う。
 家が無い生活。辛かったけど、結構楽しんでいる自分も居た。路上生活をすると世界の見え方が変わった。ふとした景色が綺麗に見えたり。ふとしたことが幸せに感じたり。そんな気持ち伝わりますか? 溝鼠になって見えたもの。野良猫になって見えたもの。それは僕にとって大切な宝物になって。
 あれが無かったら、今の僕は無かった。
 楽しい人生です。

吉村シュークリーム(よしむら・しゅーくりーむ)

49.jpg演出家・作家。95年劇団赤鬼を結成し、以後上質なエンターテイメント作品を作り続ける。外部演出等も多数。
今後の予定として、7/20〜22新神戸オリエンタル劇場にて新作を上演。9月にはKAVCホームグランドカンパニーとしても公演を予定。また、今秋、大阪市野外音楽堂で「ダンスオペラ」の脚本演出を担当する。

螺旋を上がれ!

 KAVCの正面玄関向かって右側に白い渦巻き状の滑り台がある。開館前にそこでパンを食べ、コーヒーを飲むのが赤鬼の朝の恒例だ。地べたに座って気楽に食べれるのも新開地の魅力のひとつ。笑顔のおっちゃんに声かけられたりするのが、また楽しい。ワイワイ言いながらテンションを上げていくのだ。
 ある朝、皆でたむろしていると滑り台からスタッフさんが「おはよう〜」と二日酔いの赤ら顔で現れた時はぶったまげた。2月だった。あんなとこで寝たら死ぬで。演劇人はどうしてこうも変わり者が多いのだろう。
 とにかくあの滑り台はKAVC表玄関のイカしたモニュメントなのだ、僕にとって。
 唐突だか人生は山と谷の連続だ。演劇なんかをチョイスした僕は谷ばかり??(汗)それでも人は上に上に上がろうとする。引力に逆らって自分を飛躍させようとする。まっすぐ上がるのは無理だから渦を巻きながら、難事をかわし、砕き、ぶつかり、人は上がっていく。あの螺旋を見るたびに、僕は人生の機微を感じ、胸に向上心を宿すのです、ハイ。
 これからも劇団赤鬼をよろしくです!

岩崎正裕(いわさき・まさひろ)

48.jpg劇作家・演出家。劇団◎太陽族主宰。
KAVCチャレンジシアター選考委員。
鋭い視点で社会を見据え、関西弁や音楽を生かした独自の演出で、軽やかで硬派な骨太ドラマを次々と発表し、高い評価を得る。OMS戯曲賞大賞受賞、大阪市さくやこの花賞、兵庫県芸術奨励賞受賞。
2007年は夏の精華小劇場での新作発表のほか、北九州芸術劇場プロデュース「冒険王07」(1月)の演出、しが県民芸術創造館で県民創作ミュージカル「フロタキコ」(3月)の演出が決定している。

番外編チャレンジシアターに捧ぐ

Nipponの憂鬱

前回のKAVCチャレンジシアターのテーマは「ロボット」だった。今回は「Nippon」である。「ロボット」を仮に「自動人形」と訳してみるなら、全ての舞台芸術の本質たる「人間」とは、ほど遠いところに配置されたシニカルなテーマ性だったことになる。果たして今回、実は「Nippon」=「ロボット」だったなんてことになりはしないか。その恐れを抱きつつ、あえてお題としてみたのである。小泉政権誕生以降、この国は右傾化への道をひた走っている。ここ何年かで盤石となった改革路線はジワリジワリと我々演劇人にも押し寄せて来ている。周知の通り、全国の公立館が指定管理者制度に大きく揺れているのはその煽りだ。ましてや安倍政権における教育基本法の改正では、教育現場が国家への忠誠心を試されるという。やがては国家が「ロボット」を量産する事態になりかねないのではないか。この危惧が、最近の私の偽らざる心境なのである。さて、今回の審査会の席上で、応募された20代の多くの人たちが日の丸・君が代に、天皇制に、少しの違和感もないと発言したことに驚いた。自由を標榜するKAVCチャレンジシアターという広場で、参加団体のそれぞれが、どんな「Nippon」を見出すのか。できれば私は、この憂鬱を吹き飛ばして欲しいと願う。しかし混沌のままでも構わない。「美しい国」などお題目に過ぎないのだから。

菜月チョビ(なづき・ちょび)

46.jpg劇団鹿殺し座長。作家・丸尾丸一郎とともに兵庫県西宮で旗揚げ。ほぼ全ての作品の演出、出演。2005年東京進出。劇場公演、路上パフォーマンスや渋谷ラママを中心としたライブハウスツアー等幅広い活動がTV朝日で特集されるなど注目を集めている。2007年2月にKAVCチャレンジシアター'06-'07の招待作品として、KAVCホールにて本格的な“里帰り公演”を行う。

噛むな!

 窮鼠猫を噛むという言葉があるが、自宅に火をつけて親を困らそうとした子供たちはまさにそれだろうか。アニメやら映画やら教育やらの影響か、ネズミだったら窮したら猫を噛んでも良いってな風潮は気に食わない。ネズミのように弱いからって、そんなに簡単に窮されちゃ困るし、まして噛むな!! 猫を!! 一丁前に噛めるならその根性でちゃんとして! 第一、 産んでくれた両親は猫じゃなくっておんなじネズミなのに。同じように窮しやすいか弱いネズミだってのに。
 自分をネズミだと、か弱い心の持ち主だからといっぱいいっぱいになることを正当化する人間が増えている。親に責め立てられたら火をつけちゃうというんなら、わが子に殺されかけて巻き添えで妻子を失った人間はいったい何を噛む権利を持つのだろう。
 いろんな心の状態にすぐに病名がつくようになって、アニメのヒーローまで情緒不安定な現状に、救われた人もたくさんいるのだろうけど、その反面ふんばって生きているひとが馬鹿をみるような現実が。世界のバランスは昔から取れてないもんなんだろうけど。そんなの嫌だなあ。

十二代目結城孫三郎(三代目両川船遊)

45.jpg1943年生まれ。江戸糸あやつり人形結城座(1635年旗揚げ)の十代目孫三郎(故雪斎)の次男として生まれ、4歳で初舞台。武智鐵二に歌舞伎、観世栄夫に能、茂山千之丞に狂言を学ぶ。1972年、三代目両川船遊の名で写し絵師としての活動も始め、1993年に孫三郎を襲名し、現在は2つの名前を受け継ぎ、活動を行っている。主な出演作品は「リチャード三世」、「伽羅先代萩」、宮沢賢治作品「ネネム」など。今年10月下旬にはKAVCで、宮沢賢治写し絵劇場『注文の多い料理店』上演とワークショップを予定している。

はみ出たくてしかたない

 結城座が糸あやつり人形で現代演劇の舞台を作るようなことは、今始まったことでもないんです。従来、人形芝居と言うと子どものものや古典ものと思われがちですが、結城座では明治の頃、祖父は新聞小説とタイアップして、小説の進行に合わせて糸あやつり人形の舞台をやっていましたし、父の時代には表現主義にも傾倒しました。最近は、1年の3分の2は新しい演劇に取り組んでいます。
 現代演劇の良いところは、タガから離れられるところですね。例えば、ある場面では人形をすっかり放っておくという演出だって許されるわけです。古典の舞台だとそうはいかない。様式を守らないととんでもないことになる。そう言う意味で現代演劇ではタブーが無いから、どんどん冒険ができる。はみ出たくて仕方ないんですよ。表現者としても、何か既にあるものに従ってやるよりも自己を開拓していくほうが圧倒的に面白い。常に目新しいことをしていたいし、同じ手を使いたくない。今回も宮沢賢治、写し絵と人形、そして演出の山元清多さんに画家の寺門孝之さんという今までに無い組み合わせです。この組み合わせでどんな新しいことを生み出せるのか、今から楽しみです。(結城孫三郎・談)

中井由梨子(なかい・ゆりこ)

44.jpg96年、神戸女学院大学在学中にTAKE IT EASY!に入団。以後、全ての作品の脚本・演出を担当。2005年10月、TAKE IT EASY!から独立し、活動の場をさらに広げることに。関西で大注目の、若手女流作・演出家である。主な作品にHEP HALLプロデュース theatre14『ハムレット』『夏の夜の夢』(翻訳)、Drama City produce アカペラミュージカル『猫堀骨董店』など。今年8月にホームグラウンドカンパニー企画参加劇団としてKAVCで公演を行う。

ChocolateKiss

 「人生は、チョコレートのようなもの。食べてみなければ中身は分からない。」映画『フォレスト・ガンプ』の有名なセリフ。…チョコレート。なんだか不思議な魅力のあるお菓子。葬儀屋の棺の色をして、美しい旋律のピアノにも似ている。組み合わせる食材によって無限大に味が広がる漆黒の魔法。これまで幾人ものパティシエが数々のレシピを発案してきた。人間関係もそうだけど、絶対合わないと思われる同士のコンビネイションがハマった時の絶妙感って凄いもの。定番のチョコミントだって、最初はありえない組み合わせだったはず。でも、艶やかな黒いカケラを割った瞬間の目の覚めるようなミントブルーは、はっとするほど美しい。甘さの中から何が出て来るか分からない。まさに人生を語るお菓子。女優の宮沢りえがチョコレート専門店でトリュフを口にした時の、思わず出ちゃった愛らしい言葉。「んー、kissの味!」

山元清多(やまもと・きよかず)

43.jpg時事通信社スポーツ部記者時代を経て、「68/71黒色テント」(現黒テント)に参加。以後「黒テント」の座付き作/演出家として活動を続けている。アジアの演劇人たちとの親交も深い。テレビ脚本家として『時間ですよ』『カミさんの悪口』などのヒット作がある。1983年に『比置野ジャンバラヤ』で第27回岸田國士戯曲賞を受賞。

<はじまり>の街

 電話で教わったように、私鉄に乗り換えて「新開地」という駅で下り、あの通りに出たときの気持ちの波立ち—知らない街なのに奇妙に懐かしい街でもあるような、いきなりフィクションの街に迷い込んだような、それでいて強烈な生活感に満ちているような。不思議な気持ちのざわめきでした。競艇の舟券売り場があって、古い食堂や喫茶店があって、旅回りの大衆演劇の芝居小屋まであって—それは、ボクのなかでいつの間にか薄れかけ、忘れていた街にいきなり戻ってしまった戸惑いだったのです。
 神戸といえば三宮周辺しか知らなかった無知のなせるわざだったのですが、おかげでボクは自分にとっての演劇の〈はじまり〉を思い出だしました。東京の下町で生まれ育ったボクにとって、旅芝居や浅草の軽演劇が出発点だったことに改めて思い至ったのです。あのときから、ボクはそのことを公言するようになり、自分の演劇の〈はじまり〉を意識した作品をつくるようになったと思います。来年春持っていく『ど』という作品も—。

2006年5月KAVCホールにて、構成・演出担当の黒テント公演『ど』を上演予定。

山田うん(やまだ・うん)

42.jpg東京在住。スポーツやダンスの経験を経て、96年に振付家デビュー。99年にはソロダンスを本格的に開始。振付家・ダンサーとして、国内外で公演活動やワークショップを展開し、2003年ダンスカンパニー「Co.山田うん」設立。何気ない振る舞いを基にユーモラスで機知に富んだソロダンスが好評。06年3月12日、KAVCホールで公演予定

選択のゆくえ

トイレットペーパーを買いに薬局へ行ったのに目にとまった新発売の化粧品を購入して満足し肝心のトイレットペーパーを買い忘れたり、最寄りの私鉄に乗ろうと思って家を出たのにそこを通り過ぎてJR駅へ着いていたり、自転車で出かけたのにバスで帰ってきてしまったり、という事がよくある私は健忘症ではない。目的達成より寄り道を優先する回路で生きている。とする。今日は午後からこの文を書くにあたり、先ず前号を読もうと机上の大量紙資料をひっくり返して前号紙を探していたら、隣の本棚の奥に埋もれていた「小林秀雄全集」と目が合って読書を始めてしまった。そしてだんだん文字が見えにくくなってきて変だ、と思ったら日が暮れていた。同時に空腹に気づき納豆素麺を食べた。人生この様に進行中。ダンスを始めたのもこの様な一環にあり。そして結局前号は見つからず、「マイブームについて」のお題でさえも今気づく果てに四百字ぴったり!は偶然ではない。

谷省吾(たに・しょうご)

41.jpg1963年生まれ。大学在学中に俳優として活動を開始。その後演出家としての評価も得て多方面で活躍。劇団「遊気舎」に所属しつつ、自ら主宰する「いるかHotel」で独自の演劇活動を展開している。後進の指導にも実績と定評があり、KAVCでも1996年から毎年継続してワークショップを開催。2005年9月末にKAVCホールで修了公演を行う。

OMS※の楽屋で見た一枚の…

 忘れられない言葉がある。それは10年前、1995年3月のOMSでの遊気舎公演でのアンケートの言葉である。びっしり表裏に書かれていたそれには、地震後、今日初めて大阪に出て来た事、神戸に比べて無傷の大阪にショックを受け、来た事を後悔した事、でも、前売券を買ってたから、なんとかOMSに来た事などが書いてあった。そして「ここまでが観劇前に書いた事です。ここからは観劇後の感想です」と、こう続いた。「おもしろかったです!地震後、初めて笑いました。自分に今、笑う力があることに驚き、うれしくなりました。明日からちょっと元気が出そうです。今日はほんとうにありがとうございました。」
  大げさではなく心がふるえた。あの時期、芝居をする事で救われていた自分がいて、その芝居を見て元気が出ましたと言ってくれた人がいる。ほんとうに元気をもらったのは僕だった。
 それ以来、若い役者達によくこの話をする。その度にやっぱり誰よりも勇気づけられる自分がいるんだけど。
OMS:扇町ミュージアムスクエアの略。大阪・扇町にあった“小劇場のメッカ”といわれた劇場。2003年3月、惜しまれつつ閉館。

腹筋善之介(ふっきん・ぜんのすけ)

40.jpg1989年旗揚げから2000年の解散まで、惑星ピスタチオで座長を務め活躍。その後、NHK朝の連続テレビ小説「オードリー」やNTT西日本のCMを始め、テレビ出演多数。Kiss-FM神戸のラジオドラマ「Story For Two」への出演は7年目を迎える。04年12月〜05年1月、NODA・MAP「走れメロス」など舞台出演も多い。2月25〜27日、自らの劇団IQ5000で、KAVCにて公演予定。

毛ほどの自意識

 頭には髪の毛があります。普通は。私には、ありません。毎日、剃っているからです。この時期になると、朝までずーっと夢を見続けることがあるのです。それは、ナイトキャップを被らないで寝た時です。寝ている間に頭が冷えるのでしょうね。朝目覚めたら、頭が冷たーくなっているのです。髪の毛のあったころは、こんなことはなかった。こんな日の朝は、寝るときよりもなんか疲れている。頭が冷えて、夢を見続けたせいで。髪の毛の偉大さを身をもって知る瞬間です。このことを人に話すと、「髪の毛伸ばしたらいいじゃん。」って軽くいわれる。いやいや、髪の毛伸ばした俺なんて、俺じゃないよ、って、強く心の中で突っ込み、そしてまた、毎日、頭の髪の毛を剃るのです。何を言いたいのかって? 髪の毛は偉大だけど、自意識のほうは、もっとでかい。ということ。いやだー、こんなしょうもない自意識、いらねー。でも、ロンゲの俺はもっといらねー。毎日伸びてくる髪の毛さん。ごめんなさい。今日もまた、水道水とともに流れてゆくのでした。

ウォーリー木下(うぉーりー・きのした)

39.jpg劇作家・演出家。1993年神戸大学在学中に劇団☆世界一団を結成。劇団の代表で、全ての作品の作・演出を担当。作・演出家としては外部公演も数多く手がけ、演劇ワークショップ講師やシナリオライター、また、自らプロデューサーとして数々のステージを手がけている。

道端に落ちている靴下に関する一考察

 道には不思議な物が落ちている。靴下や手袋、時には靴やストッキングまで落ちている。あれ何なんでしょう。だいたい片方だ。両方揃って落ちていることはあまりない。もちろん誰も拾わないから汚れている。汚れた靴下が車に踏まれていく光景ほど哀しいものはない。なぜに靴下を落とす。というか道で脱ぐ。暇だから推察してみる。①干してあった洗濯物が風に飛ばされた。いきなり正解のような気がする。するが、疑問が一つだけある。高速道路だ。免許を持ってる人ならわかると思うけど、この一連の落とし物、高速道路に非常に多いのだ。惜しい。②痴話喧嘩。男は女の浮気癖に堪忍袋の緒が切れ靴下を投げつける。女も男の嫉妬心に嫌気をさしストッキングを投げつける。街角で、高速道路で。③(僕はこれが正解だと思うのだけど)無名のアーティストによる路上パフォーマンス。もし答えを知ってる人がいるならKAVC経由で僕に教えてください。

阿曽山大噴火(あそざん・だいふんか)

38.jpg1997年より大川興業所属。趣味は裁判傍聴の他に宗教巡りなど。ファッションにも独自のポリシーを持ち、“男のスカート”にこだわっている。定住する家を持たない自由人。

“裁判傍聴”これが俺の趣味です。

 「裁判なんて誰でも見れるの?」と思う人も少なくないと思うんだけど、裁判所に行くのに予約はもちろん、身分証の提示も何もなし。誰が見たっていいんですよ。「でも、裁判って堅苦しくて難しそう」と思うでしょ? これが大間違いなのよ。意外とくだけた感じでやってんだよね。俺なんか「面白い」って事だけで、毎日のように裁判所行ってるからね。そんな趣味が高じて本まで出版しちゃったもん。その名も「裁判大噴火」。興味があったら読んでみてよ。生で傍聴する裁判には劣るけど、そこそこ面白いから。
 神戸に住んでるなら、神戸地裁に行って傍聴すべきですよ。アートビレッジセンターの近くにあるじゃないですか。明治時代のレンガの外壁を残したまま、上部には全面ガラス張りのアーティスティックな建物。東京にいる俺としては、あんな珍しい裁判所で傍聴できるなんて、うらやましくてしかたないよ。

佐藤香聲(さとう・かしょう)

35.jpg音楽家、演出家。銀幕遊學'レプリカント代表。演劇・ダンス・映像・ライブ演奏を融合させた独自の表現形式「アスファルト・オペラ」を、劇場空間はもとより能舞台や寺の本堂、美術館などさまざまなスペースで発表し注目を集める。常に表現形態の可能性を模索するチャレンジ精神にあふれる作品を創造し続けている。

神話を必要としている時代の演劇

 人間は物語をつくるという病気をもった生き物だ。物語の中にある起承転結という形式を引用して、自分の日常的連続性に句読点をうちたがる、あたかも大事件のように必要以上の起伏をつけたがる。しかし大事件なんて実際にはどこにも存在していなくて、テレビのワイドショーのように事件の大袈裟な解釈だけが存在しているのだ。私たちは実際、物語などなくても生きられるが、それを必要とすることで自分自身の内面化を補強しようとしている。たくさんのドラマの主人公である自分がいて、身の回りの出来事を虚構というカタチで異化しようとするのだ。異化することにより、現実からなんらかの距離をおけるからだ。劇場に足を運ぶ場合を考えてみよう。ステージでは日常を異化しやすく、自分自身から引き離してくれる演劇が要求されている。多くの観客はそういうカタチのカタルシスを要求し、多くの演劇がそれに応えている。異化された日常が紙吹雪のようにひらひらと舞っているだけの演劇は、その観客と共に限りなく虚構として存在するしかないだろう。物語をつくるという病気は、日常のなかでカタルシスを求めてやまないという自分自身の内面の空隙を埋めるためのものであって、現代人の空白感の反映とも言える。もっとも物語がない時代は不幸だが、物語を必要としている時代はもっと不幸なのだが。

岡 登志子
(おか・としこ)

34.jpgコレオグラファー。ダンサー。神戸市出身。ドイツフォルクバング芸術大学舞踊科在学中に「アンサンブル・ゾネ」を主宰。意欲的なダンス創作を続けながら、他分野とのコラボレーションやワークショップ講師も務める。今年度の「トヨタコレオグラフィーアワード」の最終審査(7月)に選出。

台所の中の即興

いつも台所で即興をしている。ダンスの即興をライブハウスで音楽家と共に時々するけれど、台所の中では、ダンスではなくて料理の即興。眼の前にある、気になって買ってきた食材を思いのままに料理する。ただ、ただ、美味しいモノを食べたい一心で料理をする。家族や友人がいれば彼らに美味しいモノを食べさせて、自分も一緒に食べることをとても楽しみにしながら料理をする。即興なので、その日の体調、気分が大いに影響される。疲れているときはかなり雑でひどいモノになる。気乗りがしない時は食材に申し訳ないと思うほど散々な結果になる。いいことがあったり、病明けなんかの時は、乗り乗りで台所に立っている。調子が良いときはビールやお酒を片手にリズミカルに料理が進む。2品のつもりが、3品、4品、5品とニコニコしながら料理を並べる。即興なので何の取り決めもなく、調味料も適当。計量カップや計量スプーンと言った類は使わない。即興なのでもちろん二度と同じモノは作れない。そして巧くいった時には、自分で何て料理上手と自画自賛。
 でも、ただ一つ。どの料理よりも美味しい漬け物が出てきた時。即興とは対照的に時間をかけて出来上がった漬け物に頭が上がらないのである。ダンスもこんなモノかななんて思いながら、すぐ我に返って眼の前のごちそうに箸を向けている。

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